「私の好きな名言(若者編・高齢者編・風景編)」

 

2023年(令和5年)10月9日(最終更新2025年2月22日)

寺田 誠一

   

・私の好きな名言・・・若者編

 

世に生を得るは事を為すにあり。

 

 坂本龍馬の言葉とされています。この「事」は、必ずしも、大きなこと・立派なこと・偉業と解する必要はないと思います。何でもよいのですが、何か、自分が好きなこと・楽しいこと・喜ばれること・世の中の役に立つことなどと捉えてもよいと思います。

 

 

たったひとりしかない自分を

たった一度しかない一生を

ほんとうに生かさなかったら

人間、生まれてきたかいがないじゃないか

 

 山本有三著「路傍の石」に出てくる言葉だそうです。私は、「路傍の石」を読んだことがないのですが、雑誌「致知」で知りました。「ほんとうに」そうだなあと思う言葉であり、私の最も好きな言葉の1つです。

 

  

 「いまやらねば いつできる

わしがやらねば たれがやる」

 

 ものすごい迫力です。こういう気概を持っていたいものです。長寿(107歳)の彫刻家、平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんの言葉です。後の高齢者編でも、もう1つ名言を紹介します。

 

 

 「人生劈頭(へきとう)一箇の事あり、立志是れなり」

 

 西郷隆盛も心酔した幕末の陽明学者 春日潜庵(かすがせんあん)の言葉です。人生の初めに大事なことは、志(こころざし)を立てるということであるという意味でしょうか。「夢」や「目標」よりも、「志」と言う方が、心に深く留まる気がします。

 

 

noblesse oblige ノブレスオブリージュ

 

 フランスの格言です。「高貴な者の義務」と訳し、もともと貴族には社会的責任があるという意味のようです。私は、もう少し広く、「恵まれた人の務め(役割、責任、使命)」と考えたいと思います。お金のある方、親の財産を引き継いだ方、社会的地位の高い方、社会的影響力のある方などは、世のため人のためを意識した行動が求められると思います。

 

 さらに言えば、平和な世の中、文明の発達した世の中に生きていれば、それだけで恵まれていると思われます。仏教的に言えば、虫や動物ではなく、人間に生まれたということ自体が、恵まれているのではないかと思われます。

 

 

 「冷静な頭脳と温かい心」

 

 経済学者アルフレッド・マーシャルの言葉「経済学者はcool head, but warm heart を持たなければならない。」です。大学時代、経済学の勉強で知りました。この思いは、経済学者だけでなく、皆が持つべきでしょう。

 

 

「打つ手は無限」

 

 倫理法人会の創設に尽力された実業家 滝口長太郎さんの言葉です。「打つ手は無限・・・苦しい場合でも・・・何か方法はあるはずだ。周囲を見回してみよう。いろんな角度から眺めてみよう。人の知恵も借りてみよう。必ず何とかなるものである。」

 

     

燕雀(えんじゃく)安(ぃずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや

 

 出典は、中国の古典「史記」です。高校の漢文で習った記憶があります。

 「小さな鳥(のような小物)は、大きな鳥(のような大人物)の志を知っているだろうか。知らないであろう。」という意味です。いじわるされたり、いじめられたときに、心の中でうそぶくとよい言葉です。

 

 

強くなくては生きていけない。やさしくなくては生きていく資格がない。

 

 レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説「長いお別れ(ロング・グッドバイ)」に出てくる有名な言葉 If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't  ever be gentle , I wouldn't deserve to be alive. です。hardは、強い、タフ、しっかりしているなどいろいろな訳し方があると思います。

 

 

積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり

 

 儒教の原点「五経」の1つである易経の言葉です。私(寺田)の意訳:「よいことをしていると、子孫によいことがあるかもしれないよ」。

 逆に、幸運に恵まれた場合には、自分の努力や才能ではなく、よいことをしたご先祖様のおかげかもしれないと考えたらよいと思います。

 

  

・私の好きな名言・・・高齢者編

  

「己六才より物の形状を写の癖ありて

半百の此より数々画図を顕すといえども

七十年前画く所は実に取るに足ものなし

七十三才にして稍 禽獣虫魚の骨格

草木の出生を悟し得たり

故に八十六才にしては益々進み

九十才にして猶其奥意を極め

一百歳にして正に神妙ならん与欠

百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん

願くば長寿の君子予言の妄ならざるを見たまふべし」

 

 90歳で没した浮世絵で世界的に著名な葛飾北斎の言葉です。北斎かぞえ75歳時の気概を示したこの跋文(※)には、たいへん励まされます。

  私(寺田)の超意訳:「子どもの頃より絵を描いていたが、70歳までは、たいしたものはない。70歳を過ぎて、だんだんよくなってきた。長生きして80歳・90歳・100歳にはもっとすごい作品を描くぞ!」

 

※跋文(ばつぶん):書物や絵の終わりに書く文章。あとがき。

 

 

「六十、七十は鼻たれ小僧

男ざかりは百から百から

わしもこれからこれから」

 

 長寿(107歳)の木彫の彫刻家 平櫛田中(ひらくし でんちゅう)さんの有名な言葉です。その気概と迫力に驚かされます。100歳のとき、向こう30年間の材料(木材)を仕入れたというエピソードもあります。

  

 

「浜までは 海女(あま)も蓑(みの)着る 時雨(しぐれ)かな」

 

 作者は、江戸時代の俳人・滝瓢水(たきひょうすい)です。海女さんは、海に入れば濡れてしまいますが、それまでは、体力を消耗しないように、雨を防いで蓑を着るという句です。

 これについては、外山滋比古(とやましげひこ)さんの解説がすばらしいです。「人間は、少しでも自分を愛しみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのである。…死ぬときまでは、…前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。」(外山滋比古稿「人生の後半をどう生きるか」 藤尾秀昭監修『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』致知出版社2020年 所収)

 

 

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」

 

 最澄(伝教大師)の言葉であり、日本仏教の基本の考えです。年齢を重ねても、このことを忘れないように、日々行動したいものです。

 

 

 

「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」

 

 古今和歌集の在原業平の歌です。

 昔も今も、人生はあっという間だ、死は突然訪れるという思いは変わらないようです。1日1日を大事に、死ぬときに後悔のないように過ごしたいものです。 

 

 

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速(なにわ)のことも 夢のまた夢」 

 

 豊臣秀吉の辞世の句です。

 農民から関白太閤になり日本一の出世をした豊臣秀吉ですが、最後はこのような思いだったのかと考えさせられます。人生で何が大事なのか、日頃からよく考えておく必要があると思います。

 

 

・私の好きな歌句・・・風景編

 

春風(はるかぜ)や 闘志(とうし)いだきて 丘に立つ

 

  作者は、明治・大正・昭和に活躍した俳人・高浜虚子(愛媛県松山の出身。正岡子規の門下生。)です。すがすがしく、さわやかで、力強さに満ちた句です。やる気がわいてきます。

 

  

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」

 

 松尾芭蕉と親交が深かったという江戸時代の俳人・山口素堂(そどう)の句です。

 目にはみずみずしい青葉、耳にはほととぎすの鳴き声、口にはおいしい初がつお。初夏の光景が目に浮かんでくるようです。

 

 

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬さえて 冷(すず)しかりけり」

 

 曹洞宗の開祖・道元禅師の辞世の歌です。日本の四季の美しさを詠んだものと思えますが、「すずしかりけり」は「冬さえて」だけでなく「春は花」「夏ほととぎす」「秋は月」すべてにかかり、禅的・仏教的な意味があるそうです。

 

 

「形見とて 何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」

 

 江戸時代末期に越後(新潟)で、子どもたちと手まりをついて遊んでいた良寛和尚の辞世ともいえる一首です。清貧に生きた良寛和尚には形見として残すようなものは何もないけれど、大自然を形見として残しますという意味でしょうか。上記の道元禅師の歌を受けています。

 

 

「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)の頃」

 

 平安時代の歌人・西行の和歌です。「花」は、桜を意味しているとのことです。旧歴2月の満月の頃、すなわち、釈迦の没したときに自分も逝きたいと詠んだ歌です。

 

 

「敷島(しきしま)の 大和心(やまとごころ)を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(やまざくらばな)」

 

 古事記を研究した江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)の歌です。「敷島の」は「大和心」にかかる枕詞(※)、「匂ふ」は花が美しく咲いているという意味だそうです。

 大和心とは何かと尋ねられたら、朝日に輝いている山桜の花を美しいと感じる日本人の心ですという意味と思われます。

 

※枕詞(まくらことば):ある特定の言葉の前に置かれる修飾的な言葉。

 

 

「我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙はうすし 桜島山(さくらじまやま)」

 

 幕末の尊王の志士・平野 國臣(くにおみ)の歌です。心の内の熱い思いに比べれば、桜島の煙も薄いと詠んだ有名な歌です。

 

 

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」

 

 江戸時代末期の歌人・橘曙覧(たちばなのあけみ)の短歌集「独楽吟」に所収されている一首です。「独楽吟」には、小さな楽しみがいろいろ列挙されています。

 楽しみというのは、大きいことばかりでなく、小さいことの中にもあるのだということに気づかされます。