「神谷美恵子さんの考え方」

2024年(令和6年)9月15日

寺田 誠一

 

 高校時代、精神科医の神谷美恵子さんの『生きがいについて』を読みました。それ以来、神谷美恵子さんの深い思索と高潔な人格をずっと尊敬しています(私は、個人の全集はほとんど買わないのですが、神谷美恵子さんの全集(みすず書房刊)は買って持っています。)。

 

 『生きがいについて』の最後の部分で、重い障碍や病気にかかった方の存在意義について述べています。私は、この神谷美恵子さんの考え方が好きです

 

 「人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生を受けた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。・・・五体満足の私たちと病

みおとろえた者との間に、どれだけのちがいがあるというのだろう。私たちもやがて間もなく病みおとろえて行くのではなかったか。・・・大きな眼からみれば、病んでいる者、一人前でない者もまたかけがえのない存在であるにちがいない。少なくとも、そうでなければ、私たち自身の存在意義もだれが自信をもって断言できるであろうか。現在げんきで精神の世界に生きていると自負するひとも、もとをただせばやはり「単なる生命の一単位」にすぎなかったのであり、生命に育まれ、支えられて来たからこそ精神的な存在でもありえたのである。

 ・・・これらの病めるひとたちの問題は人間みんなの問題なのである。であるから私たちは、このひとたちひとりひとりとともに、たえずあらたに光を求めつづけるのみである」(神谷美恵子著「生きがいについて」の最後の部分)。